先々週、神奈川芸術劇場で葛河思潮社第一回公演『浮標』を観た。
明日から目と鼻の先の吉祥寺シアターでも上演されるのに
わざわざ、横浜くんだりまで出かけていったのは
できたばかりの新しい劇場で見たかったからだ。
三好十郎作の『浮標』は上演時間が、2度の休憩をはさみ約4時間。
最近、堪え性がなくなって(昔からか?)
1時間以上の芝居を見るのは少々苦痛になりかけているので、
この作品は半ばあきらめとともに見始めた。
しかし、次第に芝居の世界に引き込まれ、
長いと全く思わずに4時間が過ぎていった。
久々に「演劇の力」というものを感じた作品だった。
何がよかったのだろう?
まず、圧倒的に三好の言葉の持つ力がすごい。
まるで言葉そのものが生きているようだ。
登場人物は多弁だ。
しかしそこには多弁を超えた何かがある。
感情的な描写になりそうな芝居を
あくまでも客観的に作っている
砂以外に何もない舞台
客の想像力が舞台のディテールを生み出していく。
丁寧に丁寧に演劇と向き合って作ったと感じさせる。
表現者として思わず自分を重ね合わせては号泣してしまった。
何を見たって最近はおもしろいと思わなくなっていたが
もう一度、演劇の力を信じてみようと思える作品だった。
2 件のコメント:
年を取ってくると感動することが増えてくるのかな。今日、会社で研修を受けていて素晴らしい講師のかたの進め方をみていたら、あっというまに研修時間終了・・・何をえたのかな?・・・・それをレポートにまとめないといけませんTT
匿名さん
年を取ると、感動することが増えてくるって、すばらしいことですよ!う〜〜ん、自分はどうかなあ、と考え込んでしまいました。見る目が厳しくなったので、なかなか素直に感動しなくなったような気もしますが(少なくとも芝居を見るのは仕事なので、ほとんど感動しない)、町工場の苦労話、子供の話は無条件で感動します。ははは。
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