2014年6月25日水曜日
福島の声を聞きたい
先日6/18のフクシマを思う12「四年目、福島の今を聞く〜全村避難の葛尾村からの報告」にお越し下さった皆さま、本当にありがとうございました。
なんとなんと、これまでで一番多くの方がご参加下さり、超満員、ボランティアスタッフもてんやわんや、会場は人いきれで息苦しいほどでした。それにも関わらず、参加者お一人お一人が2時間あまり真剣に耳を傾けて下さったのが強く印象に残っています。
アンケートを見ると、やはり、4年目に入り、現地の声がますます伝わってこなくなったことに皆さん強い危機感を感じておられるようでした。そして現地で何が起きているのか知りたい、という声が本当に多かったです。ゲスト2人のお話を聞き、まだまだ続く放射能との戦いを思い、日本人全員の問題として、生きている限り関わりつづけていかなければと気持ちをあらたにしたという感想が多く聞かれました。これからも「現地の声を聞く」ということを基本に、この会を続けていこうと改めて思いました。
さて、今回、葛尾村からお招きした畜産農家の松本さんは、(奥さまが仰るには朝から晩まで寝ても喋っているという)お話のとっても面白い愉快なおじさまです。会場の人数を見て「こんなに多くの方が聞いてくださるなんて、それだけで嬉しい」と仰ってました。私たちもやりがいがあります。ご自身でたくさんの資料をお持ち下さり会場の皆さんに配ってくださいました。葛尾村や福島全般の状況をお話し下さったあと、ご自身が育てていた牛の話をして下さいました。県や国やあちこちに掛け合ったけれど、結局、牛を助ける方法がなく、野放しにして近隣に迷惑をかけるわけにもいかず、我が子同然に育てていた子牛も含む牛たちを、自分の手でえさが食べられないように縛り付けて置いていかなければならなかったその苦しい胸の内を話して下さった時には、会場では涙を拭う姿も見られました。原発事故は人が生きる土台である「住む場所」と「仕事」をある日突然に奪いました。その上に我が子同然の牛たちの命までも奪わなければならない。なんで松本さんたちがそんな理不尽な目に遭わなければならないのか、どう考えたって納得できるものではありません。
続いて、詩人の小島力さんがお話し下さいました。小島さんは震災の翌日、いち早く危険を予測したお子さんたちの強い勧めですぐに東京へ避難されました。しかし家も畑も山もすべて放射能で汚染され、とても帰れるような状態ではありません。生きている生活そのものをすべて根こそぎ奪われました。避難の中でふるさとを失った想いを「草茫々、わが涙滂々」と詩につづっています。葛尾村の村民は今、東電に対して「集団申し立て」を行っています。現状では、補償を決めるのは事故を起こした加害者である東電です。ですから東電の都合が最優先される、それはおかしいじゃないかということで、個人個人は非力ですが村民が一緒になって集団申し立てをすることで、被災者の正当な権利を申し入れようというものです。また、小島さんたちは村の汚染状況をつぶさに調べておられます。一件当たり一億円の除染費用をかけて、除染するのは各家の周囲20mと道路の周囲20m。それは点と線でしかないのです。ほとんどが山林の葛尾村ではそれではどうしようもないのです。除染の効果は3割程度減るだけ。私たちが訪れて計測した時も、除染済みの家屋の周囲で0.53μSv/hありました(年間被爆量1mSvの場合は0.23μSv/h、放射線管理区域は0.6μSv)。日頃の穏やかさとは異なり、データに基づききっぱりと厳しく国の無責任さを問う小島さんの言葉には、強い怒りが込められていたように感じました。
さて、後半の朗読では、小島さんの詩集「わが涙滂々 原発にふるさとを追われて」を読みました。私の朗読では定番となりつつある小島さんが30年前にお書きになった原発労働者の詩「原発問答」と、当たり前の暮らしを失い、荒れていくふるさとを思う詩「草茫々」と「当たり前の」を読みました。お2人のお話を聞いた後だけに、詩の言葉一つ一つが実感となって聞こえてきます。
そして、最後はバンドネオンの平田耕治さんとコントラバスの木田浩卓さんによる演奏。本当に素敵な演奏でした!たくさんのお話を聞いた皆さんの心に、すぅーっと切なくてあたたかいバンドネオンの音が染みていって、タンゴの名曲がお寺の本堂に響き渡り、ひととき酔いしいれました。コントラバスの木田さんは相馬市出身。ご実家のお話もしてくださいました。もっともっと聴きたかったと仰る方が大勢いらっしゃいました。またぜひ演奏していただきたいです。
事前にチラシを配布して下さった皆さん、当日準備に駆けつけて下さったボランティアスタッフの皆さん、その他ご協力下さいました皆さんに深く御礼申し上げます。毎回新しい出会いと繋がりが生まれています。ささやかな会ですが、福島と私たちを繋ぐきっかけになれば本望です。
帰り際に、松本さんに思い切って今後どうするのか聞いてみました。
50年間は葛尾には帰れないだろうと講演で仰っていた松本さんは、少し考えて「子どもらが戻らないと言ってるからどうしようもない…わたしらももう戻らないだろう。代々続いた畜産農家を自分の代で幕引きしなければならない」と静かに答えました。そして思い出したように「牛を埋葬した場所に、なんとなくあちこちで手に入れた桜の苗木を植えてたら、気が付けば、埋葬した牛と同じ数の11本植えてたんだ…不思議だなあ」と遠くを見るような目でつぶやきました。松本さんが牛を見つめる眼差しはきっとこんな風にやさしかっただろうなと思いました。「涙も枯れ果てたよ」とにっこり笑って帰って行かれました。
また、そのうち機会があれば、松本さんと小島さんにその後のお話を伺いたいと思います。
当日パンフレットに書いていただいた双葉町と川内村からの連載リポートも、時の流れを感じさせ、本当に考えさせられるものでした。
次回、フクシマを思う第13回は12/1(月)の予定です。
ゲストは冨沢酒造の冨沢真理さん、演奏はnutmegさん。
「明日へ繋ぐ、双葉のお酒の復活」のお話です。
ぜひ足をお運びください。
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