川内村はカート&ブルースの大好きな、とてもお世話になった村です。
途中、津波によって運ばれた船がごろごろと畑の中にあるのを間近で見ました。海から4キロも離れた場所にもかかわらずです。案内して下さった方の家の1メートル手前までクルーザーが流れてきて間一髪だったとのこと。
川内村へは、飯舘村、川俣町を通るルートで行きました。
飯舘村の田んぼに生えた雑草がひと月の間に驚くほど伸びて、明らかに荒れた様に感じました。丹精込めてた田が荒れていくのをただ黙ってみているだけなんて、農家の方には拷問に違いありません。
「飯舘牛」という看板が街道のそこかしこに立っています。
先月初めて通ったときは見えない放射能の恐怖を感じましたが、2度目の今回は恐怖よりも荒廃していく里山の風景が重くのしかかります。
ひと月でいっそう荒れている |
この美しい豊かな大地が、空気が、森が、山が、放射能によって蝕まれていく。
取り返しの付かないことを国と電力会社はやってしまった。(そしてわれわれはそれを許してしまった。)
彼らはまだそのことを自覚していない……
飯舘の風景を見ながら、立ち入ることのできない20km圏内の町々のことを思いました。まだ行ったことのないそれらの町。一体どうやったらこの大切な土地を、住んでいた人達の手に返すことができるのだろう??
どうすればいいのか…科学者でもない我々に何ができるのか…
峠を越えてすぐの川俣町の田んぼ |
飯舘村と川俣町の境はちょっとした峠になっていて、峠を越えて川俣に入ったとたん、鮮やかな稲の緑色が目に飛び込んできます。人々の変わらぬ暮らしがそこにはありました。
そのギャップは衝撃的です。飯舘と川俣の境界にあるものはなんなのか…。
長いドライブの果てに雨模様の日もすっかり落ちて、自分たちの車のヘッドライトしか見えない真っ暗な川内村に到着しました。住んでいらっしゃる家もちらほら見えますが、おおかたはひっそり静まりかえっています。伸び放題の雑草で道幅が狭くなったところもたくさんありました。カエルが鳴いています。ようやく、ブルースの友人のお宅に到着しました。
真っ暗で見えないけれど、すぐ家の前には川が流れており、はっきりと水の音が聞こえ、夜露に濡れた木々のむせかえるような深い緑の匂いがあたりを包み込んでいました。
家の中からは大勢の笑い声が聞こえてきました。
その夜、東京に避難中の主一家を始めあちこちに避難している方々が集まって、おいしいお料理をいっぱい作って私達を歓迎して下さいました。
その自宅兼工房はスローライフそのものの生活をこれまで送ってきた、素晴らしいところです。おいしいお酒でかなり(私が)酔っ払った頃、ブルースが「詩の朗読と即興をやりましょう!」と言いました。今回、コンサートの中で私は福島県出身の草野心平の『麦とゴッホ』を朗読しています。毎回、ブルースとカートとアンディはその詩を聴いて即興で演奏するのです。それはそれは素晴らしい演奏です。村には草野心平の記念館もあり、皆さんよくご存じの詩人です。
今夜ここに集まって下さった方々のために、私達は「麦とゴッホ」を読み、演奏しました。すでにきもちよく酔っていましたから、いささかコントロールが効きませんでしたが、草野心平の言葉が自由に漂い始め、尺八の澄んだ音色が麦畑に吹き渡る風のように、ディジュリデューの低い音が家に共鳴して、私達はまさに大地と自然そのものに包まれました。とても不思議な体験でした。
ほのかな明かりの中で私達は遅くまで語り合いました。
続く。
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