2012年7月8日日曜日

フクシマを思う6「番外編 金子あい朗読会」報告

先日の7/4のご報告。

メインゲストの肥田舜太郎先生が体調不良のため、やむなく講演中止となった「フクシマを思う6」でしたが、代わりに開催した「番外編 金子あい朗読会」には70名近い方がご参加下さり、久々にじっくりと「詩」を味わっていただきました。開演時間が近づくにつれて続々と皆さんがおいでになり、並べていた椅子では足りなくなるほどでした。皆さんのあたたかいお気持ちと現状への危機感が感じられ、うれしさと共に強い思いを感じました。ご参加下さいました皆様、本当にありがとうございました。

「フクシマを風化させない、自分のこととして寄り添い続ける」──それをテーマに開催しているこの会ですが、最近の政府と電力会社の動きを見ていると、「フクシマをなかったことにはさせない、自分のこととして行動を起こす」と言い換えた方がいいのではないかと思っています。それほど危機的な状況になっていると思います。

会の当日お配りするパンフレットには、毎回、福島の被災した方に書き下ろしていただいた近況報告を載せているのですが、その言葉はいつもすごく胸に刺さります。私はぜひともそれを皆さんに読んでほしいと思ってかなり力を入れて作っています。今回も会を中止にすることで、彼らの声を埋もれさせたくなかったというのが正直な気持ちです。そして、選んだ詩も「今」伝えたかった。70名ものお客様が来て下さったことは本当に嬉しかったです。

今回朗読した「詩」は以下の4篇です。

和合亮一さん「詩の礫 2012.6.17」
野田首相の再稼働会見を受けてツイッターでかかれた作品です。一部抜粋します。

・・・「福島に 震災に 何の出口も 見えていないのに 再稼働か タクシーは宇宙の底を たったいま 滑っている 「どうなっちまうんでしょうねえ この国は」果たして 国の問題なのか 日本の問題なのか 国と日本が 二つに分かれていくような気がして 車は 三叉路を曲がる 子猫を見つける」

「事故の検証は 雲の検証は 水の検証は死んでしまった牛や犬の検証は 光の検証は せせらぎの検証は 愛情の検証は 自死の検証は かぶと虫の検証は 雨の検証は 帆掛け船の検証は ランドセルの検証は 風の検証は 原子力の検証は うなぎの検証は 請戸浜の検証は 検証の検証は どうしたのか」

「いいのか なかったことにされちまうぞ 「もう されてちまってるぞ」「「なにを根拠にしてそう思う?」」「「「だって、もう動きだすんだぜ」」」「「「「もう?」」」」「「「「「もうだ」」」」」「「「「「「!」」」」」」」

「誰もがこれで良いのかと思っている良いはずがないと思っている確かにやみくもに反対することはいろいろなことを考慮して現実的ではない面もあるのかもしれないがそれでもこれで良いのかと思っていることはまちがいなく誰しも心にあるのだそれなのにこれで良いのか誰もがこれで良いのかと思っている」

「こうえんであそんでいたらすりむいたのでないていたらしらないおとなのひとがぼくのきずにやさしいかおでしおをぬっていったからおおきなこえでわんわんないていたらまたべつのおとなのひとがみずできずをあらいながしてくれてそしてやさしいかおでおおつぶのしおをぬっていったさいかどう」・・・@wago2828

本当にその通りです。福島は何も収束していないのに、なんの検証もされていないのに、これでいいはずがないのに、国民の7割が反対しているのに、誰のための再稼働なのか?


2つ目に読んだのは、若松丈太郎さんの「神隠しされた街」(1994)。

1994年に旧プリピャチ市を訪れた若松さんは、チェルノブイリ原発事故発生40時間後にプリピャチと近隣市民49000人が,2時間で1100台のバスに乗って街から消えた、さらに11日目には原子力発電所中心半径30kmゾーンは危険地帯とされ92000人がちりぢりに各地へ避難した。合わせて15万人であると書き、それを福島第一原発に当てはめて「私たちの消えるべき先はどこか。私たちの神隠しは今日かもしれない。」と書いています。1994年にです。

若松さんが警鐘を鳴らし続けていた事故は2011年3月11日現実のものとなり、今、15万人の浜通の人々がちりぢりに避難しています。


3つ目の作品は、「みえない雲」よりチェルノブイリ事故一ヶ月後に書かれたドイツの詩です。これは、前回の6/10にも朗読したのですが、この詩は衝撃的です。

26年前のドイツのこの詩は、市民は食品の放射能におびえ、国は原子力は安全だといい、政治家は無能であることが証明された、今、私たちが行動を起こさなかったら、何も言わなかったら、「彼ら」は私たちの沈黙と思慮深さに感謝するだろう、今こそ行動しなければならない、と書いています。

国が違っても26年経っても何も変わらないことに心底恐ろしさを感じます。

しかし、ドイツは今、原発をやめることを決定しました。その後、原子力について国民が学び議論する土壌が出来たからです。では日本も原発をやめるのに26年必要なのでしょうか?冗談じゃない!
この詩は毎回でも読むべきではないかと思っています。


最後は広島の原爆の詩、栗原貞子の「生ましめん哉」です。
大変有名な詩ですからお読みになった方も多いと思います。

原爆投下後のビルの地下、瀕死の人々のなかで若い女が産気づくと、いままで呻いていた産婆が「私が生ませましょう」と名乗り出ます。かくて赤ん坊は生まれ、産婆は息絶えます。

短い詩ですが、心打たれました。

どんなに悲惨な状況でも赤ん坊は生まれてくる。。。
原発事故を起こしたこんな無責任なひどい国でも赤ん坊は生まれてくる
私たち大人は、男も女も、子供たちのために「産婆」にならなければならない。
未来の世代のために命がけにならなきゃいけないのです。



参加された70名の方々は、ものすごい集中力で、「詩」の言葉に耳を傾けていました。
私の声が吸い込まれていくのが感じられました。


いま、伝えたいことがあります。

ぜひ、どうぞ皆さん、また詩を聴きにいらして下さい。


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次回、フクシマを思うシリーズ第7回
2012年11月22日(木) 19:00〜 武蔵野公会堂

ゲスト:アーサー・ビナード(詩人・翻訳家)
    カート&ブルース(箏&尺八デュオ)
出 演:金子あい(朗読)









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